昔話:マイコンBASICマガジン
AM5:30起床。完全に習慣化した模様。
軽くお知らせ。昨日、今更ながらmixiの紹介メールを頂いたのでミクシィ登録しました。友達を見つけまくりマイミク追加メールを送りまくりました。不躾ですが、マイミク追加メールの返事をいただけると幸いです。
ところで、mixiやってたら、昔流行ったICQを思い出したなぁ。ネネと結婚するきっかけが実はICQ。これは別の機会にでも書こう。
昔話の続き。どこまで書いたかなぁ。
FM-7でしばらくゲームだけやっていたのだけど、「信長の野望」も相場変動の中の仕組みを知ってしまうと簡単にクリアできるようになってしまい、マイコンに対してやることがなくなってしまった。
一方兄貴はというと、なにやら毎月雑誌を買って、どこかに投稿しようと試みているようだ。当然、それとなくその雑誌も読んでみる。それが「マイコンBASICマガジン」との出会いだった。
昨日も書いた通り、その当時のマイコンは、「BASICモード」と言う物がいきなり立ち上がるのだけど、自力で何かを動かしたい場合、そこにBASICと言われるプログラム言語を書いて実行することにより色々な事が出来るようになる。
マイコンBASICマガジン(長いので以降「べーまが」)は、主にそのBASICのソースコードが掲載されている雑誌だ。基本、雑誌の構成は読者からの投稿で成り立っており、その雑誌に投稿したBASICのソースコードが掲載されるかどうかが、その当時のコンピューターおたくの最大のステータスだった。
雑誌を読み始めてからすぐにBASICの虜となってしまい、必死になってBASICを勉強したなぁ。PRINTとかGOTO文とか。今となっては何もかもが懐かしい、、。兄貴は本気で投稿する気満々だったので、かなりの難しいコードを書いていたと思う。結局、掲載が果たせたのかは思い出せない。それなりに競争率が高かったので多分ダメだったんだろうなぁ。
一方僕といえば、面白そうなゲームのソースを見つけては一生懸命ソースコードを入力し、誰かの作った手作りゲームをやることに専念していた。記憶する媒体と言うものが存在しなかったので(一応あったが、例の使えないテープレコーダー)ゲームがやりたければ、一字一句間違えずにソースコードを打ち込まなければならず、何回も間違えながら何とかゲームをやっていた記憶がある。テキストエディタなんてものもなかったので、入力するだけでもかなりの難作業だった。
次のステップとして、ソースを入力するうちになんとなくBASICというものが理解できてきたので、自力でゲームと言うものを作ってみた。作ると言っても一切の独創性はなく、べーまがに載っていたゲームのアイデアをほとんど流用していた。
一番初めに作ったのは、縦スクロール形のスキー風障害物除けゲームだった気がする。なぜこのゲームかというとこれには理由があって、RND(乱数発生関数)とPRINT(画面に文字表示)だけ知っていれば縦スクロールはターミナルが勝手にやってくれるのでお手軽に作れるゲームの代表だったからである。
命令をあんまり知らなかったもんだから、乱数発生が過激に動き過ぎて、スキーのゲレンデが右側から大きくはみ出し、表示がめちゃくちゃになったことを思い出す。
立体迷路とか、横スクロールのゲームとか、自力で作りたかったけど、その当時はそこまでのレベルに達することは出来なかった。(確か小学生だったし)
まだまだ、この話題で引っ張る。次回へ続く。
べーまが専門のアーカイブページみつけた。ちょー懐かしい。後でじっくり読もう。