昔話:マイコンについて(FM-7)
またAM5:30に目が覚めた。昼ごはん後がちょっと眠いけど朝方の生活に転換されてる気がするので、これはこれで健康的って事かな。大体が、釣り行ってる時はこの時間に起きるの遅いくらいだし。
昔話をつらつらと書いてみる。
今就いているお仕事は、SE(と言う名のIT雑用係)なのだけど、幸か不幸かこの職種に就いてしまったきっかけを考えるに、昔家に置いてあったFM-7と言うマイコンピューターがまず1つの大きな要因なのである。
昨日の記事でも書いたが、兄貴がかなりのそっち系コンピューターおたくで、電子ブロックから始まり、自作でトランジスタラジオ作成、ワンボードマイコンいじりと家の中には常にそれ系の物が置いてあった。秋葉原は遠かったので、昔、さいたま市の宮原にそれ系のショップがあって、バスと電車を乗り継いで、たまに連れて行ってもらっていた。(名前失念。今もあるのかな。)
その影響なのか、血筋なののか、僕もそれなりにそっち系への興味があって、ハンダゴテをもって基盤を触るまではやらなかったものの、子供の時の遊び道具は、電子ブロックだった。
ワンボードマイコンの時代が終わり、次にやってきたのが、マイコンピュータだった。当時、コンピューターと言えば、NECのPC-8000シリーズが全盛期で、まず買うとすれば選択肢はPC-8801だったのだけど、なぜか兄貴が選んだのは富士通のFM-7だった。その理由は定かでないが、多分やりたいゲームがFM-7しか売ってなかったのだと思う。
その当時、家は特に裕福ではなく、どちらかといえば貧乏な部類で、6+6畳くらいのフロアスペースに家族5人で住んでいたのだが、その狭いスペースにマイコンとディスプレイが一角を占有し、かなりな圧迫を強いられていたと思う。おそらく兄貴に対しては、それなりの期待があり、貧乏ながらもそっち方面の出費は優先的に出ていたのだろう。
そんなこんなで、僕も暇なときはFM-7を触っていた。Windowsとか、MS-DOSとか無い時代で、立ち上げるといきなり「BASICモード」と言うものが立ち上がる。それがその当時のパソコンのスタンダードだった。はじめは「信長の野望」とかゲームだけやっていたと思う。ゲームの媒体はテープレコーダーで、ゲームをやるのにテープから「ぴ?ひょろろ?」などと音を出しながら、データを読み出してからようやく始められるのだけど、読み出し終わるのに1時間くらい掛かり、それからゲームがはじめられると言う今では考えられない壮大な時間がゲームに費やされていた。
それに加えて、テープの調子が悪く読み出しが出来ないときなど、ロードの最後の最後で失敗し、結局頭からテープを読み出し直しで、半日費やして、結局ゲームができなかったり、色々面倒だった思い出がある。
あぁ、もう会社に行く時間。この話題は次回に続く。