教訓:最後の藁
「最後の藁」って言う故事があります。全文を書くと下記になります。
『らくだの背骨を折るのは最後の藁だ』
つまりは、「藁のような軽い物でも、1本ずつ積んでいけばいつかはらくだの背骨を折ってしまう。」ということなんですが、この故事の中には、もっと色々な比喩が隠されていて深いなぁと常々思っています。
大概、何か大きな事件が起きるときは、その直前に起きた出来事を集中的に責め立てるのですが、実際は、長い間に蓄積してきた藁(負荷)が積み重なって最終的に重大なことが起こってしまったのであり、その最後の1本の藁を責め立てるのは愚かだと言う意味も込められています。
「デスマーチ」に関しても、「燃え尽き症候群」に関しても上記に書いたことがそのまま適用できます。
要は突発的な事件が起きたことで上記のような事が発生してしまったのではなく、長い間蓄積されてきたものがちょっとしたきっかけで崩壊に向かっていってしまうと言う事だと思います。
結局、目先の事ばかり非難していると、本質を見失ってしまいます。
ですので、これらを引き起こす本質は何かと言う事を、一生懸命考えているのですが、イマイチよく分かりません。
デスマーチに関しては、「人月でシステムを見積もるのが悪い」とか、燃え尽き症候群に関しては。「IT関連の残業ありきの勤務体系が悪い」とかそういうこともありますが、それは本質じゃない気がしています。
「じゃー、なんなんだ!」と言われても今の僕にはよく分かりません。少なくとも、表面上だけで非難するんではなく、初めから順序だてて経緯を把握して、それから非難するのが大事かと思っています。
そんな趣旨で、例のデスマーチの記事については、プロジェクトの立ち上がりの一番初めから、ちまちまと書いているわけです。