立ち会い出産の感想と一連の流れ、やってみて気づいたことなど
今回、僕は出産に立ち会った。これは誰しもが経験出来ない貴重な体験だったと思う。まずは、このことを忘れないうちに書き留めておくことにする。これは自分のためでもあるし、もしかしたら、これからやろうとする人の手助けになるかもしれないから。
初めに通っていた産院はおじいちゃん先生が1人でやっている開業医の産院だった。そこは立ちあい出産を認めている産院ではなかったし、自分自身にもイマイチ立ち会う気が起きていなかったので、どっちかというと、これであのめんどくさそうな立ち合い出産の事を考えなくて済むと思い、立会い出産が許可されていない事を密かに歓迎していた。多分このまま時が流れていれば立ち会うことなど話題にもならなかったであろう。
出産予定日が押し迫った12月初め。事態が急変した。年末年始に出産が絡む僕らの出産をここの産院ではサポート出来ないと言うのだ。そんなむちゃな、と腹が立ちつつ、突然の状況変化に戸惑いながらも急遽、駅前の総合病院へと転院になった。
転院して一番初めの検診。前の産院からの紹介状に何の診断結果も添付されてなかった事により、当直の医師に渋い顔をされつつ目まぐるしく各種検査を全てやり直す。手続きも終わり、やれやれと受け取った出産に関する書類を見てみると、ここでは立ち合い出産が可能らしい。さすが総合病院だ。うむむ、、、せっかく頭の隅に追いやってた立会い出産の問題を再び考える羽目になってしまった。しかし、この時点では立ち合いなんて断れば良いんだから、と思っていた。
前の個人産院ではこういったイベントが全く無かったのだが、ここでは父親母親になる人達の為に講習があるらしい。「立ち合い出産する人は必ずこの講習を受けてください」と書かれている講習がちょうど良く転院して来た週に行われるようだ。受けられるのは予定日を考えると、ここが最後のチャンス。ま。ここは一応受けといて、立ち合いするかしないかはその時が来たら決めようと思い講習を受けた。
実際講習を受けてみると、分娩室に入り分娩に立ち会うとは言え、そんなにグロい事もないらしい。夫の立ち位置は妻の頭側と決まっていて、見えるのは上半身だけ、実際やることは声を掛けてやる事と汗を拭いたりする事、それから一緒に呼吸法の発声してやる事のみだ。(ここは病院によって全然違うので、下半身丸見えってところもあるかもしれない。)それから、講習のテキストに立ち合い出産に向く人、向かない人という記載があって、
- 向く人
夫側:「何事にも冷静に対処できる。辛抱強く、長丁場に耐える自信がある。」
妻側:「パートナーの前ではかなり本性を出している。」 - 向かない人
夫側:「苦痛に耐えている姿、叫んでる妊婦の姿を見たくない。」
妻側:「苦痛に耐える姿を見せたくない。また、パートナーがいると落ち着かずお産に集中できない。」
そして、その時が来た。
12/31の朝、どうも破水したらしいと言うことで、まずは病院に連絡。「そういうことなら、急いで来てくれ」って事で、病院行き。陣痛は来てなかったので、ここでは落ち着いた感じだった。
まずは陣痛室に通された。陣痛が来るのをのんびりムードで待つ。もう産まれそうな妊婦が分娩室に居て、分娩室からもれてくる辛そうな声を聞きながらの待機だった。ただでさえ狭い陣痛室に今踏ん張っている妊婦の両家の親と兄弟みたいのが居てちとウザかった。椅子が足りなくて僕が座れないじゃないか。仕方なくナースステーションに行って折りたたみ椅子を借りてくる。この模様が教訓となって、両家の親には電話連絡だけして、産まれたらまた電話する、と連絡して置いた。
外は大雪。何日ここに居るか分からないけど、少なくとも今日はもう家に帰れないなと思いながらひたすら陣痛を待つ。陣痛室に置いてあるラジオから年越しの番組が流れ始めた頃、いよいよ本格的な陣痛の波が来た。予想外に来るのが早い。こうなると加速度的に陣痛は激しくなり時間も長くなる。辛そうな様子を見、まずは手を握ってみるものの、夫としてはそれ以上出来ることは無い。「呼吸困難にならないようにとにかく「ハー」と声に出して息を吐け!」、と出産の教科書に書いてある通りの文句を言い続けた。耳をつんざくほど悲鳴を聞くたび感情的になりそうな自分を押さえる。出来るだけ冷静に。せめて外見だけでも。この時間はとても長く感じた。
年越しのカウントダウンが終わり、年越し気分も何も感じられないまま元日を迎える。陣痛が頂点に達したAM1:00。助産婦から、「分娩室へ行く」との号令が掛かった。場が一気に慌しくなる。助産婦からの「立ち合い出産を希望していますか?」の問いに自然と、「希望してます。」の返事が出た。とにかく、ここで「NO」と言う返事はあり得ないと思った。
分娩室での準備が終わるのを待ち、医療用ガウンを付け分娩室の中へ入る。言われた通り頭側の定位置に立つ。やれる事は手を握り、溢れ出る汗を拭き、ストロー付きのウーロン茶で水分を飲ませる。そして声を出し呼吸を揃える。これが立会いでやれることの全てだ。ここまで来てしまうと、なんだか意外に冷静だったような気がする。あの丈夫なネネが分娩でてこずったり、なにかの問題が起きたりすることは無いはず、と根拠の無い自信を持っていた気がする。
そして、最後のいきむ瞬間。肩と頭を下から支えあげていきみ易い体制を作ってやる。「さん、のー、がー、ハイ。」となんだか笑ってしまうような掛け声を掛けつつ一気にいきむ。「行けー!」と心で叫びながら押し出すイメージを頭に思い浮かべる。男がいくら良いイメージしようとも、態勢に何の変化もないのだが。十数回の最高に辛い(と思われる)いきみを繰り返し、程なくして子供が取り出される瞬間の姿を見た。ネネの第一声。「出たー。」なんか気の抜けたセリフ。ただただ痛みから開放された事に対する感想だったようだ。
AM2:20、出産。一番気になっていたこと、まず性別を聞く。助産婦さんは直接見たほうが良いと言うので、へその緒が切られる一瞬を待った。こっちに体が向けられる。うむ、付いてないな。女だ。まず冷静になって、手とか足とか、いろんな部分を見る。ここが重要と思った。なにもおかしなところは無いみたい。よかった。泣き声が途切れ途切れなので一瞬焦ったが、チューブを口から送管して気管から羊水を吸い上げると、元気よく泣き始めた。赤ちゃんってほんとに「おぎゃー」って泣くんだなーと妙なところで感心してしまった。
そんで、そのときの感想だけど、出産直後に涙がどーっと出て止まらないとか、溢れ出る感動だとかそういうのは無かったなー。ともかく母子ともに何も無くてよかったって事と、良く頑張ったなーと言う感想だけだった。まぁ、そんなものでしょ?どうなんでしょ。
その後は「カンガルーケア」って言う、出産直後に父親が直接素肌で抱っこする最高に照れるイベントがあるのだけど、今回それは回避された。代わりに母親が抱っこして記念写真を一枚。で、母親の処置が色々ある関係で、子供と父親がしばらくほったらかしになるので、手をぐにぐにとやったり、ほっぺたをぷにぷにしたりして時間を過ごす。こういう時間が与えられるのは、立会いの特典だと思う。分娩室を自由に行き来してたので、神聖なイメージだった分娩室がずいぶん身近に思えた。
その後待ってると思って、すぐ実家に連絡したけど、両家とも寝てて電話に出なかった。夜中とは言え、ずいぶんじゃありませんか?
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最後にいくつか感じたことを。
人によると思いますが、待合室でウロウロしてるより、中入っちゃった方が気分は楽だと思います。夫がやれることはとても少ないのですが、出来る限り悔いを残したくないと思う人は立ち会うのが一番だと思いました。それから、出産前に立会い出産を敬遠してる感じでも、陣痛室でうんうん唸ってるパートナーをみつつ、これからいざ分娩室行きだとなった時、「立ち会いますか?」と聞かれると自然に「ハイ」と言えてしまう気がします。なので、もし事前に立会いするための準備など(講習受けるとか)ある場合は、そのとき多少気が向かなくても、とりあえずいつでも行ける状態にしておくことが大事なのだと思います。最終的な決心は分娩室に入る直前でも良いのですから。